2009/04/30

Pirate BayとGoogle、全く同じ?

面白いサイトが出来たらしい。グーグルと著作権法違反で有罪判決を受けたPirate Bayの共通点を鮮やかに示している。The Pirate Googleで、その内容と言えばグーグルの検索エンジンでPirate Bayがやっているサービスと全く同じことができることを見せている。

Pirate Bayでは、BitTorrentなどのP2Pファイルのリンクを検索できる。つまりただリンクを掲載しているだけで、侵害データなどを直接的にユーザーに提供しているわけではない。ところが、同じようにサイトやファイルのリンクを検索結果として表示するグーグルも、サービスの構造としては全く同じだと言う。

現にグーグルで検索する際に、“filetype:torrent”と付け加えれば、そのままPirate Bayになるというのだ。で、それを示しているのがThe Pirate Googleというわけだ。

Pirate Bayの裁判では、被告側が自分たちが罰せられてグーグルがお咎めなしというのはおかしいと反論する場面が度々あったという。裁判員は全く汲みしなかったらしい。

The Pirate Googleを作ったコーダーが匿名でArs Technicaのインタビューに応じている。曰く、サイトを作った目的はただ単にグーグルを著作権侵害で非難するのではなく、著作権侵害そのものや、ネットのニュートラル性とか、伝統的メディアに対抗するネットの力という広範囲のネットの問題に議論を促すためだそうだ。さらに言う。

「インターネットは素晴らしい格差是正装置で、僕みたいな個人が大企業や政治家といった金もコネもある単体と同等に世界に情報発信できる。既存のメディアへの危機は、単に複数の訴訟に勝ったり、人気のあるサイトをシャットダウンしただけでは収まらない。こうした問題は僕らの文化の発展にとって基礎的に影響することであって、業界のニーズと一般ユーザーのニーズが両方満たされるような形でしか解決できない。」

正しくその通りか。ハリウッド映画をただで見れることがユーザーが必要なニーズなのかどうかは別にしても、ネットの発展は、著作権侵害の締め付けのみでそれを解決することにさせないだろう。


2009/04/29

「ウイルス」の脅威

A(H1N1)型インフルエンザの新種、通称「豚インフルエンザ」が猛威を振るっている。そして、ついに、アメリカで一人の幼児が犠牲となったとのこと。SARS、トリインフルエンザ、そして今回の豚インフルエンザと、ほとんど毎年のように感染症によるエンデミック(局地流行)が生じており、更にはパンデミック(世界的な大規模流行)の脅威を与えている。

A型のインフルエンザは、他のB型、C型と違い、色々な宿主があるらしく、ヒトと動物の共通感染症と言われている。トリや今回の豚の様に、他の動物で蔓延した挙句、動物が供給源となってヒトに感染し、ヒト同士に爆発的に拡がっていくのだという。また、やっかいなことに、A型は、常に、小変異を繰り返しており、それによりヒトの免疫がうまく機能しない場合があり、更にタチが悪いことに、細かなバージョンアップの挙句、数十年後に、突然、大変異を起こし、その新種に免疫のないヒトに猛威を振るい、パンデミックへと発展するらしい。

人がグローバルに動き、国際間での交流が頻繁になった現在、その拡大したコミュニケーション経路によって病気が蔓延していく。パンデミックの危険性は、90年前に世界人口を激減させたスペイン風邪の再来をも予期させるほどであり、また、パンデミックの可能性自体は往時よりも格段に高まっているといえる。


コミュニケーション手段の進化は、ネット空間にも「ウイルス」を持ち込んだ。こちらの「ウイルス」は、元祖ウイルスに比べるとヒトとの関係は歴史が浅いのだが、やはり、この短期間のうちに、種々の変異を遂げ、今では、数万種もの「ウイルス」が存在し、日々新たな「ウイルス」が「発生」している。悪ふざけのウイルスから始まり、ワーム、トロイ、そして既存ウイルスの機能統合型とも言えるボットへと進化していき、その脅威を増してきている。

特に、最近では、ボットによる被害が著しく、日本では、総務省と経産省が(めずらしく)横断的に協力してボット対策プロジェクトを立ち上げている。これまでの「ウイルス」の場合であれば、感染した場合は何らかの被害が現れ、「宿主」に自己を顕示する性質であったため、すぐに対処(泣く泣くOSを再インストールするなど)できたわけだが、ボットは、「宿主」に感染の事実がわからない様に潜伏するスパイウェアの性質を持っているので、知らぬ間に感染し、感染者が自覚の無いままに「ウイルス」の供給源となって被害を拡大することになっている。

加えて厄介なのは、他の「宿主」のボットとネットワークを形成し、その「ボットネットワーク」により大規模に個人情報を流出したり、DDos攻撃(トラフィックを増大させてサーバーをダウンさせる攻撃を、複数のホストにより行うボットネットの特性ならではのもの)を仕掛けたり、その悪弊は広範囲、多岐に亘る。感染者の無自覚、潜伏性などの点では、AIDSウイルスのような性質であり、感染の容易さの点では、AIDS以上に恐ろしい。

有名な例では、ボットネットによるDDos攻撃により、短時間ではあったがマイクロソフト社のサイトが停止させられた事件がある。つい最近もマイクロソフト社からの通知と思わせる手段で感染させるボット(しかもボット防止を銘打った通知という皮肉)が出回っているらしい。また、Adobe Readerに脆弱性が見つかり、それを原因としたボット感染の危険性についてアナウンスしているのでリンク先をご確認いただきたい。


豚インフルとの関係では、ある意味おなじみの手だが、豚インフルを警告するメールが届き、本文に貼ってあるリンクをクリックすると、フィッシング詐欺のサイトにリンクしていたり、「ウイルス」に感染してしまったりするケースが現れているらしい。こちらもご注意のほど。


さすがに、豚-ヒト間で感染が拡がったと言われている豚インフルの様に、ネット空間から現実世界へと飛び出して、PC-ヒト間で「ウイルス」が伝染するということはないわけだが、携帯電話からヒトに「ウイルス」が感染したという噂に翻弄されたという笑い話が現実化した例もあり、あるいは、i-podが「ウイルス」に感染していたケースも出ている。

ここでも、少なくともヒトの認識において、ネット空間と現実の身体との距離が縮まっているのかもしれない。

グーグルの世界征服

大仰なタイトルを付けたが、最近のネット業界のニュースを見ると、グーグルの動きがやたら目立つ。グーグルアース、Gメールの機能拡大、ブック検索、グーグルニュースの次の動き、韓国政府との摩擦、と話題は事欠かない。

事実、グーグルの検索サイトとしての世界のシェアは50%を優に越え、150カ国以上でサービスを提供しているし、広告収入はとどまることを知らない。気分的には世界征服としても間違いはない。

作家に契約合意期限を設けたブック検索の件で、アメリカ司法省は独禁法に抵触する可能性の調査に乗り出した。かつてマイクロソフトが独禁法で訴訟されたが、グーグルのブック検索はまだそこまでではない。契約合意はグーグルに独占的に世界中の作品で利益を生み出すとの批判が噴出するなかで、その批判が司法省内で共鳴されたとニューヨークタイムスは書いている。

10月に提示された合意契約の内容は、ブック検索で得た利益をグーグルと作家と出版社で分割するのが柱だが、それでもグーグルはネット上で出版する権利を独占するわけで、独禁法に抵触すると判断される可能性は大いにある。

グーグルはすでに出版物のデータベース化に着手しており、新たなブック検索サービスを始める企業は同様の訴訟案件をクリアするまでに数年を擁するためグーグルに勝てる見込みはほとんどない。よってグーグルのひとり勝ちとなる。

ニューヨーク連邦裁判所は契約合意期限の5月5日を4ヶ月延長することを決定した。日本でも文芸家協会が作家約2,200人がすでにデータベース化された作品の削除を求めていることを明かした。


40カ国語で700万冊。グーグルの目論みは今後どうなっていくのか。

2009/04/28

P2P創始者の近況

Shawn Fanning、ショーン・ファニング、ご存知の方も多いとは思うが、P2Pの先駆けとなったNapsterを立ち上げた人物だ。当時ノースウェスタン大学の学生で、学生寮でコツコツをファイルシェアリングのシステムを組み上げていた。

Napsterの運営は1999年6月から2001年の7月までで、2年程度だったが、音楽コンテンツのフリーコピーを可能にし、著作権侵害で全米レコード協会やロックバンドのメタリカから提訴されて廃業に追いやられた。

現在もNapster自体は存在するが、P2Pとしてではなく、合法な音楽配信サイトとして生まれ変わっている。DRMも施されている。そこにはショーン・ファニングはいない。

このファニングとは、どういう人物なのか、今現在何をしているのか。その答えの一部となる記事があるので要約してみたい。

ファニングは現在28歳、自身3番目のベンチャー事業に乗り出している。2番目のベンチャーは音楽版権ビジネスで、2008年にSNSのImeemに売却された。

彼の3番目のベンチャーは、Ruptureといい、ゲームユーザーのためのオンラインコミュニケーションを可能にしている。2006年に開始したRuptureは6月にはゲーム出版社に30億円で売却され、ファニング自身もサンフランシスコに留まってこの夏のサービス開始を見届けるようだ。

ファニングは相当なゲーマーのようだ。1989年から2009年までの20年間、1989年の任天堂のゼルダの伝説に始まり、以後20年間の新しいゲームのリリースを記憶している。Ruptureは彼の情熱でもある。

自らがきっかけを作った最近の音楽業界の動向についてのファニングの認識は以下の通りだ。

音楽レーベルなどの権利者は新しいIT技術を利用して進歩しようとしていないことは残念なことで、著作権が大きく絡むため革新的な事は何もできないと言う。彼の個人的な最大の落胆はは、音楽ファンの面白くてちょっと変でもあるマイナーな音楽を発掘する能力や意欲がしぼんでいることだと言う。Napsterをはじめた理由がそこにあるようだ。

オタクなほど音楽好きでゲーム好き。それがファニングなのだろう。

2009/04/27

EU著作権論議

EUでの著作権侵害の規制や罰則に関しての議論を紹介している記事があるので要約してみたい。
EU本部、ベルギーのブリュッセルからの報告だ。

「オランダの学者、Joost Smiersは、現在の著作権法は少数の力のある企業がマスメディアをコントロールしやすくしていて、その状況は民主主義にとって健全的ではないとしている。Joost Smiersは、“想像しよう、著作権のない世界を”の著者で、今月23日〜24日にブリュッセルで開かれた知的財産の未来についての会合に出席している。

彼は、著作権は主にハリウッドや力のある音楽レーベル、更に巨大メディア企業の既得権を護るためにあり、その恩恵は個々のアーティストに届いていないと主張する。Smiers曰く、ルッパード・マードックのニュースコーポレーション、イタリアのメディア王のベルルスコーニ首相、またアメリカのウォルトディズニー社などは、“文化複合企業”で、これら複合体に対して著作権の廃止と独禁法の両方から攻撃すべきだと言う。

“著作権の廃止と複合体企業の解体を同時に行うべきだ。世界的な不況の今、整理されるべきは金融業界のみならず、すべてのマーケットにも言える。”」

Smiersのみならず、著作権侵害に対処する動きをコンテンツホルダー側から見るのではなく、ユーザーの視点に立って文化の多様性を論じる学者や専門家の声はEUには多いようだ。

2009/04/26

張子の虎を前にして

ここにきて、知的財産および知的財産権に対する、各国の考え方や対応に少しずつズレが生じてきているようだ。

フランスのスリーストライク法に揺れるEUにおいても、極端に保護主義的なフランスの状況がある一方で、スウェーデンのPirate Bay裁判に端を発するPirate Partyの人気などは、最も急進的な考え方が、同国において勢力を増しつつあることを示唆している。あるいは、グーグルが突き進むアメリカでは、フェアユースの観点から、グーグル社と米国出版業界が一定の和解案に基づいて、オンライン「図書館」構想が推進されつつある一方で、日本の業界関係者、特に144名の作家は、和解案に対し反対の意思表示を行っている。

アジアに目を向けてみると、いまや巨大な新興勢力として、経済的にも先進国に伍するようになった中国では、その表面的な姿とは裏腹に、知的財産権に対する「海賊」行為に対し、一向に統制のとれない国内状況が現前としてある。

その「海賊」たちの取締りを本格化させるような素振りすら感じられない中国で、政府は、輸入されるIT製品(ソフトウェア、家電)についてこれまで相互認証制度のもと保護されていたソフトウェアの中核プログラム(ソースコード)を、強制開示させる方向に踏み切るらしい

制度が整っている先進国においてさえ、企業の死活問題として機密保持の理由から、相互にそれぞれの国内認証で良しとしてきたのである。それが、違法な海賊行為が平然と行われている国に、完全に無防備の状態で飛び込むことなど正気の沙汰ではあるまい。各国政府、企業が猛然と反発するのは当然であろう。

某メーカーの経営者の方から聞いた話だが、自社で開発した商品について特許を取得できる場合でも、躊躇せざるを得ない状況にあるという。それは、特許をとる以上は、発明した内容・情報を全て開示しなければならないわけだが、そうすると中国にコピー製品があっという間に出回り、開発費用すら回収できない可能性もあるのだという。

著作権にせよ、特許にせよ、知的財産制度が整備されているからこそ、権利者に相応の対価が保証される。そして、その代わりとして、社会における文化・文明の前進のために、その知的財産の広範な利用という社会的な利益を、制度により実現させることが肯定されるのである。

その建前が成立しない状況で、一体誰が、張子の虎を前にして安穏としていられるのだろうか。


とはいえ、中国の状況は極端な例だとしても、こと、ネット空間における状況を鑑みるに、すでに現在の知的財産制度を維持しようとすることは、国家の力をもってしても、限界に来ている。あるいは、以前書いたように、現制度が、本当の意味で、「創造性」という価値を守ることを中核としているのかという疑問もあり、あるいは、先進国による搾取の果実を、後進国や後発国は安価に手にする権利があるという、新興国の論理もあろう。


時代のスピードが加速している現代、知的財産を取り巻く環境は、ますます混沌の様相を呈していく。

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2009/04/25

小鳥のさえずりは、時として

今、ネットで最も流行っているのは、Twitterであろう。利用者が急激に伸びているこのサービスは、一言コメント用ブログといったもので、元々の意味「tweet=さえずる」が如く、本当にとりとめのない「つぶやき」を書くために、多くの人が利用している。そもそも140文字という投稿制限があることから、そういった「つぶやき」専用であることが示されており、そのような気軽さ、敷居の低さが、コメント投稿の回転数を上げているのだろう。

特色の一つが、「フォロー」という機能で、ある人を「フォロー」すると、自分のページに、フォロー相手の「つぶやき」が随時更新されていく。現在人気の「つぶやき」は、アラスカの火山情報だそうだ。およそ7600人(4月25日現在)のフォローワーが付いている(alaska_avo)。このフォローワー数が100万に到達することを、著名人が競い合うような事例もあり、急速に利用者数を増やしている。※下記記事参照。
http://journal.mycom.co.jp/column/svalley/315/index.html


こういったサービスをマイクロ・メッセージング・サービスというらしい。Twitterを旗手として、その他にもいくつも同様のサービスを展開している会社がある。Plurkもその一つだが、早速、中国当局に目をつけられてしまったらしい

スカイプもそうだったが、こういった無料のサービスが、ビジネスの現場を劇的に変えてしまうことがある。このマイクロ・メセージング・サービスにしても、これをビジネスの場に活用し、モバイルで、常時コメントを投稿し、例えば営業のチーム単位などでフォローし合えば、誰が現在何をしているかという情報が相互に確認し合える上、ショートタイムでの情報共有も可能となる。営業マンは、携帯導入以来、また更に、昼寝の時間が削られていくということ。

ブログの個人別特性と、掲示板におけるコメントの気安さが一緒になったような、人単位のスレッドとでも言うべきか、あるいは、もっと個々人に近接的な在り方が実現しているのか。

やはり、以前書いたように、徐々に、「他者」との距離が縮まってきていると言えよう。このサービスが、「他者」とのコミュニケーションにおいて未熟な子供達が利用するようになると、また、ブログやプロフで起きたような中傷合戦や現実世界での不幸な事件に繋がっていくのであろうか。

鑑みるに、段階を経てコミュニケーションのフェーズやスキルをレベルアップさせていくということが、現代では、むしろ不自然になってきているのかもしれず、そうであるならば、人間の精神的な成長スピードが、ネット空間を前提とした「現実」で遭遇するところの、「他者」から求められるコミュニケーションレベルの多様さにマッチしないということであろう。

我々は、ネット空間を経由して接する「他者」を、つい一連の「情報」に埋没させてしまっているように思える。その先に生身の人間が息づいていることに鈍感になりがちである。それゆえに、Twitterのようなサービスで、気軽に、気安くコメントを書き、フォローするような行動がとれるのであろうが、その「他者」との「近接」的な関係を、現実世界に置き換えたときに、「異常な」コミュニケーションのフェーズを作り上げていることに気付かなくてはいけない。

ネット空間では、容易に「他者」とのコミュニケーションを開始することができるという気軽さの心理あるいは精神作用を、我々は大いに利用すれば良いだろう。それが、上記のように、ビジネス現場の革新を生むようなこともあるのだから。だが、その一方で、常に、現実世界に置き換えたときの節度について、その場合の「他者」との「近接」的な距離について、想像力を働かせなくてはならない。

世界のあらゆるモノを、容易に「情報化」してしまう現代に生きる我々の心理は、その二進数の先に、「デジタル」に回収できない「アナログ」な生身の人間が存在していることを忘れてしまいがちである。それは、テキストに対する暴力のみならず、作品や権利に対する暴力についても同様である。

月並みな意見になってしまうが、情報道徳、情報倫理について、より早い段階で対策を講じなければいけないのかもしれない。

Pirate Bay裁判の不正

Pirate Bayの運営者に懲役1年の判決を下した裁判員に、利益相反の疑いがかけられている。裁判員のトーマス・ノーストロムが、スウェーデンの著作権関連の権利団体のメンバーだったことをスウェーデンのメディアが伝えた。両団体とも著作権侵害を厳しく糾弾している。

更に両団体とも役員にはエンターテイメント業界の重鎮たちが名を連ねている。ノーストロムは自分が権利者団体の役員であることが判決に影響したことはないとしているが、有罪判決を受けた運営者の弁護士はそう思っていない。裁判のやり直しを求めている。

Pirate Bay関連をめぐる利益相反の疑いは今回にとどまらないらしい。2008年にPirate Bayが著作権侵害の疑いで当局から捜査されていたときの捜査員、つまり警察官は警察官であると同時にワーナーブラザースからも雇われていたことが伝えられている。

スウェーデンの海賊党によれば、これらの暴露報道はスウェーデンの政治システムをびくともさせないと言う。著作権関連ロビイはスウェーデンに腐敗を持ち込む事に成功した、と言っている。

海賊党の見解は極端であるかも知れないが、ノーストロムが権利者団体の役員であることはどう考えても公正ではない。世界各国の民主主義政府がここにきて統一して権利者側に有利な法律を用意してオンライン著作権侵害者の締め付けに入りだした事と、コンテンツホルダーとしてのエンターテイメント業界の動きは重なっている。世界でもめずらしいくらいに、声を大にしてその動きに抵抗を見せるスウェーデンの情勢は注目に値する。

2009/04/24

スーザン・ボイルのシンデレラ現象

えあにほ氏も当ブログで触れているが、YouTubeでアップされているイギリスのテレビ番組から世界的なスターが生まれるという構図は、ウェブ2.0であればこその現象だろう。

素人からスターを発掘するという形態の番組はこれまでにもたくさんあったが、音楽などのコンテンツ制作にデジタル技術革新の背景から関心が非常に高い。つまり、素人がこれまでよりも何倍もコンテンツ制作に参加しやすい。言語の壁は暑いが、ひょっとすればその壁さえ超えられるならば、日本から世界的に有名な素人歌手がウェブから生まれてもおかしくはない。むしろ、大いに可能性があると思う。

スーザン・ボイルのビデオの視聴回数はすでに1億回を超えたようだ。イギリスのタイムス紙によれば、この視聴回数は広告収入予測として約1億8000万円になるとしている。YouTubeとスーザン・ボイルが出演した番組、Britain's Got Talentを所有するイギリスのテレビ局、ITVとの契約でビデオクリップには広告をつけないとしているから1円にもなっていないが。

視聴回数1億回を超えるスーザン・ボイルのシンデレラ現象を収益化しないのは、テレビなどの古いメディアとYouTubeなどの新メディアが足を引っ張り合っているからだと、ニューヨークタイムスのMiguel Helptは書いている

テレビ局などの古いメディアはそれでもいまだ純然たる力を持っている。スーザン・ボイルはYouTubeが世界に広めたとは言え、元々はテレビ番組がスターにした。そのプロデュース力はネットメディアにはまだない。その差が今後急速に縮まるだろうか。

2009/04/23

スウェーデン、海賊党

スウェーデンの政党のひとつである海賊党の党員が、Pirate Bay有罪判決後に増加している。金曜日の判決時の1万5000人から3万7000人と倍増した。この増加で6月に予定されているEU議会選挙で議席を勝ち取るかも知れないと見られている。

EU議会に議席を得るには約10万票が必要だ。2006年1月に発足した海賊党の理念は、著作権法の急進的な改革、特許権の廃止、そしてネット上の個人プライバシー保護の強化だ。海賊と名乗るだけあってコピーフリーの世界を実現しようとしているらしい。

あまりにも急進的な党是ではあるが、その広がりはスウェーデン国外にも波及しているようだ。すでにスペイン、オーストリア、ドイツ、ポーランドでそれぞれ正式に政党として活動しており、アメリカ、イギリス、アルゼンチン、フィンランド、オーストラリアでも正式な政党としての登録はないものの、活動しているらしい。日本にはまだ上陸していない。

党首のRichard Falkvingeの鼻息は荒いが、海賊党はスウェーデン国会にもまだ議席はない。2010年の選挙で議席獲得を目論んでいるようだが、どうなるだろうか。

リヴァイアサンの住まうところに

先だってから同様に述べているように、新興、既存の別なく、企業が時代のキーパーソンとして文化や社会を動かしていくという時代を既に通り越してしまったのではないだろうか。経済が社会を作り上げ、時代を牽引していくという産業革命以来の発想は、ここにきて行き詰まりを見せている。利が利を生むという経済の錬金術たる金融経済は、70年代に叫ばれた、特に先進国における成長の限界に対する、資本主義経済の一つの回答であり、最終形態であったのだろうが、結局のところ、証明作業は中途において破綻してしまった。

社会の先行に経済が付き従わざるを得ないという視点は、ビジネスパーソンの神ドラッガーによって、ネクストソサイエティとして予測されている未来像でもあった。著作権という制度を中心とした、エンターテインメント業界の確立されたビジネスサイクルにおいても、ネット空間に形成されたコミュニティ群(社会)に先行されている変動のうねりの力には、真正面からぶつかりあっても到底太刀打ちできるものではないらしいのは、最近のCCAFFEのニュースによって知られるところである。あるいは、そのような既存の価値に基づくサイクル(ビジネスモデル)に取り込もうとやっきになっている姿が、あぶ氏のブログ記事からも推察されるところであるが、どこかしら有効性において疑問を抱かざるを得ないようにも感じる。

何かしらの一意的な目的があって、このネット空間が生成・変動しているのであれば、その鼻先を制して御すこともできるのやもしれないが、これこそ真においてカオスの観を呈しているネット社会(コミュニティ群)、ことに文化の流転の様相を、一体誰が機先を制して郷導することができるというのだろうか。嵐の海で帆を高く掲げるが如き様を、国家をも巻き込んだ著作権制度を中心とする業界の強硬な態度に重ねて見てしまう。

ネット空間において、急激に変転・伸長している部分というのは、それ自身として利を生まないような営みであることがわかり始めている。そういう部分に矛先を向けるよりも、利によって存立し、緩やかに運動している箇所を集積して、利益を分配する仕組みを作っていくことに注力した方が、より有効であろうし、Fair Syndication Consortium におけるような動きは、その端緒であろう。最終的には、そのような世界規模の大きな枠組み作りは、国際社会、とりわけ国家による調整課題となるべきなのかもしれない。

いずれにせよ、このリヴァイアサンを飼い馴らすことは、誰の手にも不可能であろう。

2009/04/22

音楽業界の売上げ低下の何故

音楽CDの売上げが収縮し始めてから久しい。P2Pなどで無料にダウンロードできるようになったことが主原因なのか、その答えはまだはっきりとしていない。コンテンツ業界は違法ダウンロードの取り締まりを強化してこれ以上の収益低下を阻止しょうとしている。画質の問題などがある映像と違って音楽はほぼ完全な状態で無料にダウンロードできることから、音楽業界の取り組みは注目されている。

MTVジャパンが無料で音楽ビデオを配信する試みをはじめた。動画投稿サイトでも視聴数の多いのは音楽ビデオだ。8000曲配信するらしいが、期待しているのは広告収入だ。ネット広告収入のみで黒字化しているサイトはアフィリエイトに特化したサイトを除けばまだない。

そもそも、皆がCDを買わなくなったのは違法ダウンロードのみが原因とは考えにくい。ネットには無料で楽しめるコンテンツが溢れていて、そのすべての有料化に成功したとして業界の売上げは回復するだろうか。

むしろ、コンテンツの種類や形態、はたまた流通のチャンネルが多様化したことが原因と考える方がいいと思う。ハリウッドやテレビ局や制作会社、これまでコンテンツを独占して制作してきたコンテンツホルダーが躍起になって違法コピーを制限し、違反者を制裁しようとしても業界の収益低下の流れは止まることはない。プロとアマの境目がなくなっていることがこの現象をもたらしている。消費が変動しないなら、プロが得る収益のパイはどんどん小さくなっていく。

確かにハリウッドなどは多くの雇用を生み出しているし、近年撮影スタジオをコストのかかるロサンゼルスから中国などに移動したことで職を失った美術スタッフなどの映画製作の裏方が路頭に迷うなどした。テクノロジーの進化で衰退していった産業は今回が初めてではない。現在のコンテンツ産業の収益低下をもたらしたものがIT技術の進化ならば、法律によって進化を制限してまで雇用を守ることは文明にとっても良くない。

プロとアマの境目がなくなっているならば、それを歓迎してそこから多くの人々の雇用を作り出し、新しい生活を作っていくことが経済の王道なのではないか。とは言え、それが簡単ではないことはよくわかる。

2009/04/21

EU議会のスリーストライク法への反対

昨年からフランス政府はISPに対して著作権侵害者への制裁措置を義務づける法律を作ろうとしていて、EU議会が拒否している。「世界でも最悪の著作権法」と指摘されるイギリス政府もこの動きに賛成で、フランスに追随する気配が大いにある。

来週にもサルコジ政府は著作権侵害の常習犯のネットアクセス遮断措置を盛り込んだ法律の再提出をすると見られているが、またまたEU議会がそれを阻止する条文をEUのテレコミュニケーション法に入れようとしているらしい。EU議会メンバーはフランスの抵抗さえなければ個人のネットアクセス遮断には裁判所命令が必要とする項目をこの法律に入れる事ができる。フランスの立場を支持しているEU加盟国はイギリスのみにとどまらず、イタリア、スウェーデンなども支持している。

EU議会議員でフランス社会党のガイ・ボノは、来月にも投票が行われて結果が出るとしている。EU議会は加盟国政府と違って良識を持ち合わせているようだ。これは議員が社会主義思想の政党出身者だからと単純に考えるのも違うとは思うが、昨年からEU議会はスリーストライク法は“ソ連スタイル”で、いずれP2Pシステムの禁止やスカイプの使用禁止に繋がると主張している。

著作権問題はにわかにまた盛り上がってきた。日本の文化庁でも有識者を招いての委員会をスタートさせた。アメリカではオバマ政権の著作権関連人事を巡って各種団体が声明を出し合って影響力を行使しようとしている。

金と力のあるコンテンツホルダー側の主張が全面的に通る結果とならないよう注視したいし、各国の法律家がバランスを取って文化の発展と社会生活の進化に役立つ結果を出す事を望んで止まない。


2009/04/20

恐るべき小さきものたち

いつの間にか、あらゆるものが身体に密着して棲息するようになっている。音楽プレイヤー、電話、テレビ、DVD再生機、パソコンといった、かつては大きく、静止していたものが動き始めている昨今。人類が、技術の分野において、ミクロの世界へと突き進んでいくことで、モノの小型化を可能にし、持ち運び可能にしているのである。人類の夢の行き着く先は、四次元ポケットだろうか、ホイポイカプセルか。

こういった小型化の技術集積による製造を、ダウンサイジングというとのこと。随分前に気になっていた技術で、「KTN結晶」というNTTが開発した製品があったが、プロジェクタやレーザープリンタといった、かつても現在も大きなもの、静止しているものが、この技術によりダウンサイジングされ持ち運び可能になるということだった。

ふとアレはどうなったのだろうとググってみたところ、つい先月のことだが、研究用サンプルが販売されるというところまで行き着いているということで、今回掲載した次第。日進月歩の技術の進歩に今更ながら実感させられる。

上記の用語「ダウンサイジング」のリンク先にもあるように、小型化・高機能化は、著作権やプライバシー権など、権利侵害を招く要因ともなっている。とはいえ、他者の権利侵害が行われるのは、人の手によってである。技術自体が自発的であるというわけではない。

人に近しい存在となっていくこれらのモノは、情報の媒介や、情報の加工、原泉としての機能をもち、情報は他者とのコミュニケーションを前提として欲求される。これらのモノを通じて、我々は、その実、他者と近しくなっていっているのであり、そして、近しい者を傷つけることに鈍感になっているのかもしれない。

あるいは、先回書いたように「権利」もその見かけが、既存の価値観により大きく、静的・固定的になってしまっているのかもしれず、「権利」もまたダウンサイジングを必要とされているのだろうか。

無料コンテンツはクリエーターを殺すのか。

世の中大不況で、皆余分なものにお金を使いたくはない。エンターテイメントコンテンツは生活に最低限必要なものではないから、節約するなら真っ先に切られる。お金がないから映画館に行くのを止めてレンタルにしよう。レンタルもお金がかかるからネットでただで見よう。というわけで、PCに向かって過ごす時間が多くなる。

ネット情報の良いところは、すべて無料という点だ。これが有料になればネットのなかった時代の閉ざされた世界に逆戻りすることになるだろう。ニューヨークタイムスが以前一部の記事を有料にしたが、失敗している。アクセスが落ちることは当然予見しただろうが、その予想を超えたからだろう。それでも有料にこだわることもできたはずだ。一部のニュース配信企業は頑なに有料にこだわっているが、それでもビジネスは成り立っている。質のいい情報を作るには時間もコストもかかる。新聞記事もコンテンツとして見るなら映画も同様だ。

無料にコンテンツを享受すること自体、文明の発展、文化の進展という側面から見れば決して悪い事とは思えない。無料で享受したコンテンツを営利目的で利用することはフェアではないが。

逆にP2Pなどの方法で無料にコンテンツをダウンロードすることを合法とするならば、コンテンツ制作者が制作の対価としてそれなりの報酬を得られるようなシステム作りが欠かせない。そのシステムを構築するために動画投稿サイトやSNSは苦労している。広告を使った無料配信のビジネスモデルで黒字化した企業はまだない。YouTubeも、コンテンツの有料化を検討している。

世界のコンテンツ制作の大手企業は政府やISPへの働きかけを強化し、違法ダウンロード取り締まりに力を入れているが、P2Pやファイルシェアリングが消滅する気配はまるでない。その技術を殺すのではなく、新しい仕組みで制作者が金銭的にもきちんと評価されるシステム作りはどうしても必要だと思う。違法ダウンロードを撲滅するのではなく、そのシステム作りに業界が協力して試行錯誤すべきだ。

新しい技術で有料だったコンテンツが無料で享受できるようになった。それが悪だとして壊すだけなら、進歩も発展もない。無料コンテンツでもクリエーターを生かすことができるよう考えていくことが正しい姿勢なのではないか。

2009/04/19

学生の論文記事の盗作問題

Wikipediaが知られ始めた頃から、学生が授業の課題で与えられた論文の引用をウェブから引っ張ってくることがしばしば問題にされていた。大学などではWikipediaは引用先としては最低という認識を教授らが口を酸っぱくして言っていたからそうする学生はほとんどいなかったが、小学生でも宿題の調べものはほとんどをウェブで行っているという記事もあった。

ウェブが大量の情報を便利にすばやく提供するおかげで、学生が読書をする時間が減っている。問題はウェブ情報の信用度で、それを見抜く力を養っていない小中高生の読書時間の減少だ。もっとも、出版さえも個人で低予算で簡単にできるようになった現在、本の情報がウェブ情報よりも優れているなんてことは言えない。

えあにほ氏が言うように、現在は世界総アマチュア時代で、誰でも著作物を公開できる状態にあるし、既存の名のある制作者の収入は減少していることだろう。出版に限って言えば、かつては誰でも本を出版できる状態ではなく、出版社がプロの目で選別し、ある程度レベルの高いもののみ出版公開されていた。よって本を読むということは自動的に知的な行為であったはず。

Googleが著作権の切れた出版物の総データベース化を目論んでいるが、そうなってくるともうウェブこそが知識であり、誰も知識人などと大手を振って歩けないのではないか。新しい出版物のベースはウェブ情報にあるならば、そうなりはしないか。

学生の盗作を監視するシステムを提供するカリフォルニアの会社に対して論文などを無断でデータベース化されたとして学生らが提訴しているが、その学生たちもウェブ情報がかなりのウェイトを占めているはずで、この提訴はお門違いもいいところだろう。連邦高裁の著作権侵害には当たらないとの判決は妥当だ。つまり、創造性の問題で、学生の論文にその創造性はあまりないとの判断からなのではないだろうか。

なるほど世界は総アマチュア時代だ。ハリウッドは利益を守ろうとして巨額をつぎ込んで圧力をかけている。著作者がクリエーターとしてその才能なり技術なりをお金で評価できなくなる世界というのはどうも納得できない。かと言って新しいウェブの技術を潰してまで巨利を守ろうとするハリウッドにも納得できない。

新しいコンテンツ業界はどのような世界なのか。どこで線引きされるのだろうか。

良質なコンテンツとは何か

世界総アマチュア化時代。Web2.0と呼ばれる世界とは、一面、言わば、そういうことであろうか。

すでにして、ネットの大海には、事実上野放しにされた違法コンテンツ、氾濫するアマチュア・コンテンツが無限に漂っている。かつて大陸を制覇し支配していたエンターテインメント企業の英雄たちは、監視船団を展開し、あるいは、海上に堅固な構築物を設置しようとしているものの、大海に水一滴の観は否めない。

インターネットの個々のユーザーが主権を握る時代には、企業は主導的な役割を果たすことはできず、さらには、産業構造に組み込まれたプロフェッショナルの地位は、その収益構造の弱体化とともに、次第に脆弱なものとなっていく。

権利保護派と自由利用派との間で、それぞれの言い分を両天秤にかけたときに、常に私の頭に浮かぶのは、「総アマチュア化の時代は良質なコンテンツを生み出すことができないのか?」という問いである。

「良質なコンテンツ」という代名詞は、権利保護派の橋頭堡と言え、最近のニュース記事のブラウン英首相の発言にも見受けられる。また、web2.0に否定的な論者として知られるアンドリュー・キーン氏も、自著または講演会において、その危機を声高に訴えている。

一方で、このグローバルなネット空間において、既存の企業が、その需要の行方を真に見極められているのかどうか。いかに「良質なコンテンツ」であっても、ユーザーたちは本当に自らが欲しているものを「与えられて」いるのか。「ネット版ビルボード」と言えるサイトの結果と、「正しい」ビルボードの結果を見比べてみるのも一興である。

アマチュアとプロフェッショナルとの間で、色々な意味で「使用可能な技術」に差が認められることは疑いはない。そこには、決定的な才能というセンスの差もあるということを、事実として尊重するべきだろうとも思う。

しかし、例えば、この素人の手によると思われる動画は、専門家の視点では技術的に未完成な点が見受けられるのかもしれないが、「良質なコンテンツ」とは言えないのだろうか。


あるいは、この動画に触発されて、関連する動画が生み出され投稿されるという、「開かれた作品」を中心として、人々により様々に更新されていく文化のコミュニケーションの在り様は、「英雄たちの時代」に見られた現象だったろうか。

「英雄たちの時代」の「才能」の多くは、実際は、「専門性」という言葉と互換可能だったのではないのか。

確かに、「権利」をないがしろにすることは許されることではない。しかし、「権利」を取り巻く法制度が、既存の価値観にがんじがらめにされているということは充分に在り得ることである。現在、我々が「権利」として見えている姿は、既存の法制度により作り上げ表出された体裁であるに過ぎない。そして、既存の価値は、英雄たちの価値と合致するものである。

しかし、本来のところ、「著作権」という価値は、「創造性」を賛美する、優れて人間的な意義を有している価値観であろう。それが、いつの間にか、「利益」という副次的な視点に取って代わられていないか。実のところ、「良質なコンテンツ」とは、「閉じた作品」を中心とした利益の増幅構造を意味しているのではないのか。英雄たちは、真の意味で、創造的なのだろうか。

我々は、真に「権利」を守ることに全力を尽くしたい。

2009/04/18

既存価値への静かな抵抗

オーディション番組というジャンルと言ってよいだろう。アメリカで人気のあった「アメリカズ・ゴット・タレント(America's Got Talent)」という番組のイギリス版で、「ブリテンズ・ゴット・タレントBritain's Got Talent」という勝ち抜きオーディション番組がある。とりわけ、2007年にこの番組で優勝し、携帯販売員からオペラ歌手になったポール・ポッツPaul Potts氏(38)の成功神話は、日本でも話題となり、昨年には、日本でもリサイタルが開かれたり、CMで起用されたりと一躍時の人となったので、その出自の番組であると言えばわかりやすいかもしれない。

ポッツ氏が当番組で最初に登場した回の動画が、youtubeにアップされているが、この再生回数は、現在4500万という数値を記録している。服装もさることながら、なによりお世辞にも格好よいとは言えないルックス、さらにはもう既に若いとは言えない年齢に比して、美しい歌声と、本職のオペラ歌手並みの声量によって、会場の聴衆と審査員を圧倒した様子が窺われる。


いま、ポッツ氏の動画と同様の反響を得て、空前の勢いで再生数を伸ばしている動画がある。この動画の再生回数は、現在、2500万を超えている。投稿後一週間経過時の記録であることを考えれば、これもまた大変な反響であると言える。

このスーザン・ボイルSusan Boyle氏(47)という女性を映した動画は、同じく件の番組「ブリテンズ・ゴッド・タレント」の模様を伝えた内容である。そして、同様に「服装もさることながら、なによりお世辞にも格好よいとは言えないルックス、さらにはもう既に若いとは言えない年齢に比して、美しい歌声」を持つ彼女の歌唱に、会場の聴衆と審査員を圧倒した様子が窺われる。

この種のオーディション番組の趣旨は、在野に埋もれている才能を発掘するということであり、番組内で応募者によって卓越した才能を発揮することが本旨なのだろうが、その目論見としては、未だ世に出ていない原石を探し当てるという、殊に若い才能の出現を暗に期待するものであろう。

例えば、日本における往年のオーディション番組、「スター誕生」におけるように、素人でありながら、当世的な美貌あるいは、コケティッシュな容貌を持っているということが(歌唱力以上に)視聴者への訴求力としては強いであろうし、あるいはまた、上記「ブリテンズ・ゴッド・タレント」の他の応募者の例として、若い又は幼い年齢でありながら、卓抜な歌唱力を有しているという天才性を示すなども、聴衆の感興を期待できる。事実、同番組でボッツ氏と共にファイナルまで勝ち進んだコニー・タルボットConnie Talbotちゃん(6)はその典型的な例で、youtubeにアップされた動画の再生数は4200万という数値を記録しており、優勝したボッツ氏に引けをとらない人気動画となっている。

そういう点からすれば、ボッツ氏とボイル女史の例は、番組としても一種想定外の事態なのではないだろうか。また、この種の番組の典型から外れている点が、大きな反響を呼んでいる要因とも言える。

このことについて、ニューヨークタイムズの記事でも、「若さと美しさに価値を置く世界のルックス主義・年齢主義に打ち克つ勝利(her triumph over looks-ism and ageism in a world that so values youth and beauty)」という、より大きな視点を提示している。

この既存の価値観への抵抗という視点は、例えば、グーグルの種々のサービスが巻き起こしている世界規模での驚きと困惑、そして混乱に見られるように、前衛を突き進むインターネットの世界好みの構図と言えるのではないだろうか。そして、世界中の人々も、この構図を密かな楽しみとしているのではないか。

ボッツ氏とボイル女史は、静かな抵抗を成就させたのかもしれない。

ファイルシェアリングは悪か

Pirate Bayの運営者4人が懲役1年の有罪判決を受けた。損害賠償を争った民事訴訟も同時進行で行われ、メジャーなハリウッドスタジオを含む18社のコンテンツホルダーに対して約3億6千万円の支払いが命じられた。4人は控訴するとしており、スウェーデンの最高裁まで辿りつくまで数年かかると見られている。

その間、問題のサイトは運営され続けることになる。これまでメジャーなコンテンツホルダー、主にハリウッドは、P2Pに対して訴訟を起こし、ことごとくで勝利してきた。実際に侵害するユーザーを相手にすることを止め、Pirate Bayのようなサイトに対して訴訟を起こしている。

日本でもWinnyなどで一時期話題になっているが、P2Pに対しての一般ネットユーザーの意識は犯罪であるとの認識が強いような気がする。P2Pユーザーの数自体は日本でも増加傾向にあるものの、ウイルス感染するなどの噂もあり、犯罪であるとの認識もあり、その伸びは緩やかなのではないだろうか。

実際Pirate Bayで日本のコンテンツをサーチするとメジャーな名前は出てくるし、ダウンロードも可能だから、これから日本の一般ユーザーが利用するケースも増加するのではないか。著作権侵害行為に当たるからお勧めはできないが。

海外の専門家の見方は、いずれもこのファイルシェアリングでのコンテンツ無料利用の流れは止まらないというものだ。止めようと躍起になっているのは莫大な制作費をコンテンツ制作につぎ込み、世界マーケットでのマス販売が既存のビジネスモデルのハリウッド音楽、ハリウッド映画のみだ。ハリウッドはこのおいしいビジネスモデルを無くしたくはないのはよくわかる。ボロ儲けできるからだ。

Pirate Bayのサーバーはスウェーデン国外にあり、サーバーに侵害データがあるわけではない。サイトもBitTorrentなどのP2Pリンクを掲載しているに過ぎない。それでもサイトは著作権侵害を助長したとしてその責任を問われた。もっとも有罪判決を受けた運営者は強気で、今回の判決も“正気じゃない”としている。

日本ではあまり伸びのないSNSも海外では非常にユーザー数も多く、賑わっている。ファイルシェリングもそうだが、ネットユーザーを大量消費する客として見るのではなく、嗜好の違う個人として見れば、またそうした嗜好に合わせたマーケティングをすることがこの著作権侵害の流れに沿った新しいビジネスだと、指摘する声も多い。つまり、どのコンテンツがどれだけ売れたか、ではなく、誰が何を見るか、を問う。P2Pを撲滅することが著作権侵害の対策としてベストなのではない。

日本でもネットユーザーが社会を動かすような力を持って欲しいものだ。

2009/04/17

The Pirate Bay、判決の意味

今日、スウェーデンでThe Pirate Bayというファイルシェアリングサイトの運営者への判決が出る。日本では馴染みのない名前だが、この判決には世界のエンターテイメント産業、著作権関連の関係者が注目している。海外サイトがこのニュースの解説をしているので簡単に要約してみたい。

スウェーデン人、Anders Rydellによれば、判決がどうであれPirate Bayが勝つと言う。運営者4人が無罪となればファイルシェアリングは合法となり、有罪となっても彼等はより一層のユーザーのフェアユース運動の殉教者となると言っている。

「この裁判はサービスプロバイダーとしてのPirate Bayがどこまで登録ユーザーの著作権侵害に責任を持つべきかが問われているものの、同時に無料でコンテンツを享受している若いネットユーザーも証言台に立たされている。文化としてのエンターテイメントコンテンツをどのように見て、どのように広げているか、その相違が争点でもある。

スウェーデンは歴史的に技術者の国で、経済も輸出主導で発展してきた。Ericsson、Volvo、Saabなどは代表的な企業だ。90年代前半に不況で名だたる企業はなくなり、政府はITこそ次の産業だとして先行投資してきた。多くのスウェーデン人が企業や政府の支援を得てPCを買い、政府も早い段階からブロードバンドを整備した。

人口900万人程度のスウェーデンでPirate Bayの登録ユーザーは300万人に迫る。ファイルシェアリングで無料にエンターテイメントコンテンツを入手するのは最早当たり前で、それが犯罪であるとの認識も薄い。フェアユースの精神がイデオロギーにさえなっている。

よって運営者4人に有罪判決が出たとしても、この流れが変わることはない。法律整備よりも先にビジネスがこの環境にアジャストするだろう。

スウェーデンの一部の調査によれば、音楽アーティストの約50%がファイルシェアリングを自ら使用してい、彼等は弁護士がファイルシェアリングを敵対視する弁護をすることに戸惑いもあるとの事。しかし、強力なアメリカのハリウッドスタジオなどは和解などは考えていないだろう。」

税金も高く、社会福祉も手厚いイメージのある北欧の先進国。こんなところでも進んでいる、と見ていいのか。アメリカに追随することが目に余る日本にも、スウェーデンのようなユーザー意識の下地が生まれるだろうか。

BBCもこの判決について詳しい情報を提供しているのでここにリンクを貼っておく。

二つのオーケストラ

つい先日、アメリカにおけるクラシック音楽の殿堂であるカーネギーホールで、YouTube Symphony Orchestra「ユーチューブ交響楽団」による演奏会が開かれた。指揮者は、(一部交替があったが)マイケル・ティルソン・トーマス。「現代音楽(ここでは「芸術音楽」という狭い領域における意味。以下も同様。)」に手腕を発揮してきた、ティルソン・トーマスの来歴から考えれば、この新奇なプロジェクトに選ばれたのは、妥当な人選であろう。




プログラム構成は、ティルソン・トーマスによるものかどうかは、ちょっとわからないが、ルー・ハリソンや、ヴィラ・ロボス、また、このプロジェクトに作品を提供したタン・ドゥンなど、意欲的なラインナップである。このコンサートの演奏評については、語りたいことが山ほどあるものの、ここはじっと我慢して、このプロジェクトそのものについて考えたいと思う。

こういった試みは、まさに前回、youtubeなどの動画投稿サイトに期待するところの、インターネットにおけるエンターテインメントの一次供給源としての機能を果たした格好の例である。動画投稿による団員の公募や、その応募動画をマッシュアップして作られた、タン・ドゥンの「インターネット交響曲」(この作品自体が、ベートーヴェンの英雄交響曲の第1楽章の動機や旋律、他の作品のフレーズをマッシュアップして構成されている。手法そのものはリヒャルト・シュトラウスのメタモル・フォーゼンの先例がある。)の演奏動画の配信など、「The road to Carnegie Hall」というわかりやすい(やや恥ずかしい)スローガンを掲げたり、グーグル社による意欲的な企画であった。

応募数3,000、配信された動画のうち再生数が最大のもので現時点で178万(応募を呼びかける動画)、ロンドン交響楽団による「インターネット交響曲」の演奏動画も、再生数145万回というアクセス数を記録している。この数字が大きいとみるかどうか。少なくとも、「クラシック」というジャンルでくくった上で考えれば、大変な反響であったとも言え(この手の「現代音楽」でこれほどの再生数を短期間で獲得することはまずありえない)、まずはプロジェクトとして成功であったと言えるのではないだろうか。

ただ、グーグル社やニューヨークタイムズが、「この種のものとしては初のオンライン・コラボレーション」、「the world’s first collaborative online orchestra」などと語っているようだが、ご存知の方も多いだろうか、この試み自体は、2年ほど前に既に「ニコニコ動画」において先んじて実現していたものである。

※参照
【ニコニコ動画】【☆ニコニコオーケストラ☆】ホールで『流星群』を演奏してみた


「クラシック音楽」と、「(主に)ゲーム・アニメ音楽」という、往年の「ハイ・カルチャー」と「サブ・カルチャー」という二項対立で語られるべきかどうか、瑣末な点で議論があるかもしれないが。

一つ指摘したいのは、ニコニコ動画においては、ユーザーが自発的にこの領域に辿り着いたという事実である。「ユーチューブ交響楽団」の様に、このサイトを運営しているニワンゴ社が主導でプロジェクトを推進させたというわけではなく、サイトに投稿されたメドレー音楽動画を中心にして、各ユーザー達の手によって、自然発生的にオーケストラが結成され、演奏されるに至ったのである。

優劣をつけるつもりはないが、文化現象としていずれが興味深い事例かと考えれば、自ずと答えははっきりするようにも思える。

ネット空間において、エンターテインメントの分野で企業が主導的に果たす役割ということについては、プロジェクトの規模による優位はあるかもしれない。しかし、実のところ、本当に新しい試みという点では、ユーザーに先回りをされ、企業には、あまり大きな期待はできないのだろうか。

2009/04/16

アナログな海賊版制作

シカゴで映画館にビデオカメラを持ち込んだとしてヒスパニック系男女が逮捕されたらしい。アメリカ映画業協会(MPAA)の談話として、ほとんどの海賊版はこうしたアナログな方法でコピーされると紹介している。世界での主な侵害ツールはP2Pばかりではないようだ。

インターネットのアクセスがあり、ウェブに精通していればわざわざ危険をおかして映画館にビデオカメラなど持ち込まないだろう。またそうして撮られた作品は手ぶれや明るさの問題から品質が当然落ちるだろうし、そんな作品を見るぐらいなら数百円出してちゃんと見た方がいいと思う。

インターネットアクセスは先進国に住んでいれば最早当たり前だが、発展途上国では事情は大きく違う。海賊版と言えば中国が有名で、実際侵害も深刻なようだが、所得格差の激しいメキシコやブラジルなどでも同じだろう。先進国であるアメリカは所得格差が激しく、また中南米からの移民(違法入国も含めて)はアパートに寿司詰め状態で生活をスタートさせることが多い。シカゴで逮捕されたヒスパニック系(おそらくメキシコ人)も、そうした底辺の客を相手に路上で小銭を稼いでいたのだろう。或いはメキシコで捌いていたか。

アメリカでは映画館で映画を見ても日本のように高額なチケット代を払わない。アパート鮨詰め状態の生活でも、無理なく映画を楽しめる。パクリが文化とまで言っても過言ではなさそうな中国人とは違って、彼らは品質の悪い違法な路上海賊版にそれほど入れ込まないのではないかと思われるのだが。実際、そうして手持ちのビデオカメラで撮影された映画は、中国のサイトなど見るとよくアップされていたりするが、日本人の感覚からすれば見れたものじゃない。画質が悪い、だけにとどまらない。

そういう感覚からすれば、映画館でアナログな方法でコピーされた海賊版がそれほど被害をもたらしているというのは感覚的に違うような気になるのである。

二次利用としてのネット空間

エンターテインメントの供給地として長らくわが世の春を謳歌してきたメディア、すなわち、TV放送は、あぶ氏が指摘するように、その求心力を次第に失いつつあるように見える。そして、その代わりに台頭してきたのが、言わずもがな、新興巨大メディア、インターネットである。

TV放送において、エンターテインメントの供給を資金面で支えてきたのは、(民放では)企業による広告費であるが、その企業の広告費に占める利用媒体の推移を見ても、インターネット広告費の伸び率は顕著であり、それに対して、TV広告費を含め、既存の広告媒体における広告費は減少傾向にある。調査により数字にばらつきはあるが、例えば電通の調べでは、既存メディアの一角、新聞広告費について言えば、ネット広告費があと一歩で手に届くところまで迫ってきており、早晩、追い抜かれることは必至である。

これら調査から、単純にざっくりと試算してみると、TV広告費が毎年前年比5%の減少率を、インターネットが10%の増加率を見込んだとすると、広告費の範囲により異なってくるが、早くて6年後、遅くともおよそ8年後に逆転する見込みである。

もちろん、このネットの大躍進は、いまだインターネットというメディアが新奇性を保っているということ、主に、現在急速に伸長しているインターネット利用者数の増加率と連動していることが主因であるとも考えられ、今後は次第に鈍化していく可能性もあり、試算通りに進むかどうかはわからない。しかし、おおよそ、逆転現象が起こるのが早くなるとは思えても、遅くなるという気がしないというのが大方の本意ではないだろうか。

 ただ、このネットによるプレゼンスの高まりは、ことにエンターテインメントの一次的な供給源として考えたときに、果たして、その機能を十全に果たしているかどうかというと、疑問符を投げかけざるを得ない。

 ネット空間におけるエンターテインメントの供給力は、現在、動画配信サイトによって発揮されているものと思われるが、なかでもyoutubeやveoh、ニコニコ動画といった動画投稿サイトがその中心に原動していると考えられる。

 これら動画投稿サイトから、日夜膨大なコンテンツが配信されているが、多く目につくのは、既存のメディアにおいて発表・公開された映像・音楽のエンターテインメント作品を、二次的にアップロードした動画群であろう。もちろん、中には、オリジナリティの高い「一次」作品や、先日紹介したクティマン(Kutiman)のように、創作性の優れた「二次」作品も見受けられ、コンテンツの人気バロメータである再生数やコメントを見ると、他のメディアに既出の単なる二次利用動画に比べて、高い評価を受けている。

 今後は、そのような一次コンテンツが増えていくであろうし、そうであって欲しいが、現状はといえば、権利者に無断でアップされた(と思われる)二次コンテンツが、大多数を占めているのは明らかである。youtubeやニコニコ動画におけるように、例えば音楽著作権管理団体であるJASRACにより一括で(投稿者自身による演奏についての作品)利用許諾を受けている動画投稿サイトの場合、投稿者による演奏動画については権利侵害を免れているとは言え、「既存のメディアに既出の作品を二次利用して供給している」という事実には変わりはない。

止められない潮流と語られる様に、既存メディア、特にTVという巨人を廃して、その居座り続けた玉座を、インターネットが奪取できるのか。目に見えるかのごとく語られる未来は正しいのかどうか。これらネット空間におけるエンターテインメント供給源が、いかに一次発信源として機能できるかによって、その真価が問われるであろうし、そうであるべきではないかと思う。

2009/04/15

テレビコンテンツのウェブ配信の行方

テレビ業界はようやく番組のウェブ配信に向けて動き出したようだ。番組コンテンツの2次利用に際しての一括交渉窓口となる機構を発足させ、ウェブ配信を促進する枠組みを作りはじめている。ようやく重い腰を上げたか、という感じだ。

動画投稿サイトでも、視聴の多いコンテンツはテレビ番組だ。金をかけたクオリティーの高いコンテンツは現在ではテレビ番組が多い。YouTubeでも人気の高い番組は違法にアップされ続けている。これは削除が追っ付かないのか、それともプロモーションとして見過ごしているのか。アニメなどの番組に関して言えば、違法にアップされる動画の数とDVDの売上げは反比例しないという調査もある。それには色々な要素があるから一概には言えないが。

どちらにしても、テレビの視聴者は減少し続けていること、企業もテレビ広告出稿を見直していることは事実だから、既存のビジネスモデルのままではテレビは立ち行かなくなることはあちこちで指摘されている。ウェブ配信は避けて通れない。

テレビにしろ新聞にしろ、ウェブの進化でこれまでの体制が崩れゆく過渡期にある。日本では既存の支配体制があまりにも確立されすぎていたため、この変化はすぐには訪れないだろうが、必ず変わる。テレビだけでなく、あらゆる業界で同じことが言える。ウェブに育てられたような現在の若年層が壮年となるとき、これまでとは全く違った世界が存在しているのかも知れない。

ある意味、著作権侵害という行為は、そうなるためのキッカケとなり、個人の社会的パワーみたいなものを強化させる起爆剤となっているのかも知れない。そう考えると、近未来を扱ったアニメや映画が描く世界も、まるっきりフィクションだとは思えないのである。


アニバーサリー

 日本における著作権に関わる法制度について、その最初の成文法と言えるものは、1869年(明治2年)に行政官達として出された出版条例と言われる。著作権として真正面から規定したものではなく、出版権の保護という形で規定されていた。次いで、1889年(明治32年)には、旧著作権法が制定され、日本における著作権制度の本格的なスタートはこの年からということになる。つまり、今年は、日本における近代著作権法制度が始まってから140年、または、120年のキリ年ということ。

 それでは、現行の著作権法が制定されたのはいつかというと、1970年(昭和45年)。一方で、世界的に見て、著作権法として成文法が登場したのは、いわゆるイギリスのアン法(Statue of Anne。本当は、もっと長い名称がついている)で、現在の暦で計算すると1710年に制定されている。ということは、つまり、来年は、40周年と、そして、300周年という記念すべき巡り年ということである。
 
 だから何だと言われれば、それまでだが、この時間を長いととるか短いととるか。人類文明の「著作」の歴史、言ってみれば長大な「文化」の歴史に比してみれば、存外最近にできた制度というようにも思える。

 もちろん、誤解のないように言えば、明文化される前から、著作権の法制度そのものはイギリスにも見られたはずで、そのあたりは、「成文」にこだわらないコモン・ローの国であることを考慮におくとして。西洋において、著作権という権利意識が芽生えたそもそものきっかけは、周知の通り、グーテンベルクの活版印刷術の普及、つまり「複製技術」の飛躍的向上が原因だったと言われているので、それから考えれば、およそ500年ほどの歴史はあるだろう。まずは、出版業者の利益を守るために制度が固まっていったと言われる。

 その500年後の今日、「IT革命」による「複製技術」の飛躍的向上、さらには、爆発的な普及は、企業、業者、そして個々の権利者の権利意識を覚醒するに及んでいる。あぶ氏が語るように、「ミレニアム」の改正でさえ、「古い」と感じてしまうほどに、時代における時間の流れも早くなっている。

 著作権法制度そのもの、あるいは著作権という価値自体を、根本的に考え直さなければならない時代なのかもしれない。

2009/04/14

不完全なDMCA法

DMCA法、アメリカの法律で著作権侵害問題に対するISPやコンテンツホルダーの取るべき法的行為の指針を示したものだが、当事者であるアメリカISP最大手のAT&Tすらも誤解するような不完全な法律であるらしい。いや、誤解しているのではなく、DMCAで規定すべきISPの責任が曖昧なままだからISPはサーバーの利用者とコンテンツホルダーの両方を味方につけるような曖昧な侵害対策に始終している。

それはそうだろう。侵害者はたいがいがサーバー利用者で、ISPから見れば大切なお客様だ。一方の著作権を侵害され、ISPに対策を求めるコンテンツホルダーも無視できない。相手が大きければ訴訟問題にも発展する。

DMCAでは、ISPは侵害データを削除する義務を負わされている。だが、この義務が発生するには著作権帰属の証明や、侵害データの特定などなど、コンテンツホルダーが提示しなければならない規定が数多くある。色々な理由をつけてデータを削除しないISPは少なくない。訴訟することもできるが、コンテンツホルダーの多くは個人で訴訟費用を捻出できない。よって泣き寝入りする場合もこれまた少なからずある。

AT&Tはコンテンツホルダーのために侵害者に対して警告書を送付したらしいが、そのような義務はISPにはない。逆にYouTubeやVeohなどの動画共有サイトは、侵害者に対して警告しなければならないようだ。

DMCA自体クリントン政権時代の産物で、ここ10年のウェブ業界の進化に対応しきれていない。これに対してコンテンツホルダー側もISP側も、改正を望んでないらしい。両方とも自分たちにとって不利な方向に改正されることを恐れているからとのこと。

アメリカにスリーストライク法が輸入されるのは当分先のことになるのだろう。


密かな復讐

 音楽で「マッシュアップ」という技法がある。それぞれ別々の楽曲作品の要素を、混ぜ合わせて一つの作品として提示するやり方である。最近のデジタル技術は、こういったことを、素人でも容易に実現させてくれる。
 
 youtubeや、ニコニコ動画といった、インターネットの動画サイトを検索してみれば、マッシュアップの例は、枚挙に暇が無い。おおよそ、既存の作品を素材として組み合わせて、つまり、CDや、DVD、TV映像・音源あるいはネットにアップされている映像・音源を二次または三次使用するなど、色々なメディアで既に発表された作品を、デジタル技術の力で合成するというものがほとんどである。 
 
 言ってみれば、その道のプロが作り上げて発表したものを、勝手に利用しているわけで、当然のことながら、個々の権利など顧慮する気配などはない。たとえ、原著作者が、自身の作品を完結したものであると考えているとしても、そういった要請にはにべもなく、デジタル化された作品は外界に向けてこじ開けられ、使い尽くされていく定めなのである。
 
 昨今の権利者側、特にエンターテインメント業界の要請による法制度の強化(あぶ氏が触れているフランスのスリーストライク制などは最たる例であろう)は、ネットにおける、ほとんど無法な状況による現実的な被害の拡大を、どうにかして食い止めようという、一種の文化的危機感の発露である。 
 
 もちろん、「マッシュアップ」については、事実上の権利侵害とは言え、アレンジや、パロディといった、過去の作品を利用することによる新しい意味の創造について容認してきた文化的な歴史から鑑みれば、映画やアニメを全てそのまま動画サイトに投稿するような新たな創造性が見受けられない行為に比べれば、遥かに「文化的」な行為であることは確かである。
 
 ただ、ここでは、あえて、現在におけるネット上の著作権侵害をめぐる権利者と侵害者のせめぎあいを、プロ(権利者)VS アマ(利用者または侵害者)という図式で考えてみるための一種の方便として提示してみたいのである。 
 
 というのも、最近、この「マッシュアップ」の極北とも言うべき「作品」が、動画サイトyoutubeでちょっとした話題になっているからである。



この「作品」の特色は、これまでのマッシュアップに見られたように、「プロが既存に発表した作品を素材として混ぜ合わせる」というのではなく、「素人により既存にyoutubeにアップされていた動画「作品」を素材として混ぜ合わせている」という点である。中には、プロによる演奏映像がアップされたものが混ぜ合わせてあるものもあるが、基本的には、およそ素人とおぼしき人々が自分たちの演奏を気軽に投稿したものがほとんどである。

ここでは、「利用者または侵害者」であるクティマンKutiman(本名:Ophir Kutiel)は、イスラエル出身のプロのミュージシャンであり(2007年9月にファーストアルバムを発売)、一方で、各動画「作品」の「権利者」は素人という、逆転の図式が成立している。ここでは、7「曲」(8曲目は、本人からのメッセージ動画)がまるで「アルバム」のように発表されており、「Thru-you」という統一タイトルが付けられている。通常ならば音だけをサンプリングして利用するということが考えられるが、まるで各要素の身元を明らかにするかのように、画像もそのまま利用しているというのが確信的な行為である。

果たしてこの「作品」が原著作物なのか、二次的著作物になるのか、それも含め、この中に埋め込まれた人々は、何を思うのか。 

この「アルバム」には、youtubeでの公開の他に、特設サイトも設けられており、配信ページのデザインは、youtubeの動画ページの各部分が、上から削られたような、消しゴムで消されかけているような体裁となっている。そして、上からこれみよがしに各曲のタイトルが赤字で貼り付けられている。ご覧になってどう思われるだろうか。「著作者」は何を意図しているのか。
 

この「作品」が密かな復讐を含んでいるのではないかとも思うのである。

2009/04/13

侵害者のネットアクセス遮断の是非

フランスで可決間近の著作権侵害対策関連法案はなるほど画期的だ。しかしどうやら事はすんなり侵害者のアクセス遮断まで辿りつかないのかも知れない。先週法案は否決されたものの、サルコジ大統領は法案を再提出するだろうとされている。しかし、フランス人の多くはネットアクセス遮断という制裁には反対の声が多いようだ。


総務省発表によると、日本のネットユーザーは9000万人を超え、普及率も75%を超えたらしい。2年前の推計では、日本のネットユーザーの10%近くがP2Pを利用しているとのこと。そしてこの数字は増加しているらしい。海外ではネットトラフィックの半数近くがP2Pらしいから、日本はそこまで侵害が深刻ではないように思える。海外での侵害は深刻なようだ。日本のコンテンツもおそらくパクられまくっているに違いない。

確かにネットのアクセスがないと社会生活さえ困難な側面もすでに生まれている。日本ではそこまでネット依存していないように見受けられるが、今後は確実に変化していく。侵害の制裁としてアクセス自体を遮断することは行き過ぎだとする海外の声もわからなくもない。ネットの利点はすべての情報が無料であるということだし、無料だからこそ、これだけ爆発的に普及した。無料はいいのだが、そのおかげで消えていく企業も多いし、倒れかけてる企業はもっと多い。

考えてみれば、このアクセス遮断の制裁は今後のビジネスの在り方自体を方向付けるものでさえあるかも知れない。アクセス遮断を是とし、既存のビジネスを守るのか、それとも本当の意味でのIT革命のはじまりとなるのか。大袈裟かも知れないが、大袈裟でないかも知れない。



2009/04/12

スリーストライク法

フランスは今週、インターネット著作権侵害対策法案、いわゆるスリーストライク法を否決した。違法にネット上で著作権を侵害したユーザーに対してISP(インターネットサービスプロバイダー)は段階的にそのユーザーのアクセスを制限するという革新的な法案だ。

可決はすでに決定項で、可決すれば著作権侵害に悩まされてきたコンテンツホルダーにとってみればこんなにいい法律はない。考えてみれば当たり前のような制裁で、何故今までこのような法律が作られなかったか不思議なくらいだ。

著作権侵害行為はネット上では日常茶飯事で、多くのケースで侵害されたコンテンツホルダーは泣き寝入りを余儀なくされてきた。コンテンツホルダーよりの法律を用意しているアメリカのDMCA法でさえ、完全には違法ユーザーを制裁することはできていない。

強力なハリウッドロビイを持つアメリカではなく、フランスでこのような極端にホルダー側の味方となる法律が可決されようとしていることは注目に値する。アメリカではフェアユースの精神を盾にユーザー側の権利を主張する声が小さくない。よってフランスで可決されたスリーストライク法がすぐにアメリカに持ち込まれるとは考えにくい。アメリカの出方次第で世界の趨勢が決まるだろう。

ISPの責任の緩い日本なら、この法律は大歓迎だ。EU加盟国の今後の出方に注視したい。


2009/04/10

AP通信の逆襲

アメリカの通信大手、AP通信がグーグルなどの検索エンジンサイトやヤフーなどのポータルサイトに対して収益の分配を迫っている。グーグルやヤフーなど、大手のポータルは世界中のニュース配信会社の記事の抜粋をサイトで公開している。グーグルやヤフーなどは公開はあくまでも一部であり、大元のサイトへのリンクも貼っているとして、“フェアユース”に当たるとして反発している。

アメリカの新聞社の業績悪化は相当深刻なようだ。新聞を購読する世帯が激減し、インターネットに取って変わられてる。アメリカの新聞は日本のようにインターネットで公開する記事を速報程度にとどめておらず、インターネットで新聞の情報をすべて等しく掲載されている。新聞広告はインターネットの広告よりもはるかに収益性が高く、インターネットに乗り換えることが新聞を苦境に立たせている。

翻って日本の新聞社はいまだ世界トップの新聞発行部数を誇り、新聞社のホームページで得られる情報量と新聞紙面で得られる情報量の差を維持している。週刊誌もインターネットでの記事の公開をしていない。情報社会でありながら、旧態然としたビジネスモデルを頑に維持する日本企業は正しいのか。

日本の若い世代で新聞を購読してる人数はごく少数であることは明らかで、そうであれば既存のビジネスモデルでは将来必ず立ち行かなくなることは誰の目にも明らか。インターネットでの情報配信のビジネスモデルを国内でも海外でも確立できていない現状を見れば納得できないこともないが、資本の大きな大手だからこそ、試行錯誤をしなければならないのではないだろうか。