2009/04/23

リヴァイアサンの住まうところに

先だってから同様に述べているように、新興、既存の別なく、企業が時代のキーパーソンとして文化や社会を動かしていくという時代を既に通り越してしまったのではないだろうか。経済が社会を作り上げ、時代を牽引していくという産業革命以来の発想は、ここにきて行き詰まりを見せている。利が利を生むという経済の錬金術たる金融経済は、70年代に叫ばれた、特に先進国における成長の限界に対する、資本主義経済の一つの回答であり、最終形態であったのだろうが、結局のところ、証明作業は中途において破綻してしまった。

社会の先行に経済が付き従わざるを得ないという視点は、ビジネスパーソンの神ドラッガーによって、ネクストソサイエティとして予測されている未来像でもあった。著作権という制度を中心とした、エンターテインメント業界の確立されたビジネスサイクルにおいても、ネット空間に形成されたコミュニティ群(社会)に先行されている変動のうねりの力には、真正面からぶつかりあっても到底太刀打ちできるものではないらしいのは、最近のCCAFFEのニュースによって知られるところである。あるいは、そのような既存の価値に基づくサイクル(ビジネスモデル)に取り込もうとやっきになっている姿が、あぶ氏のブログ記事からも推察されるところであるが、どこかしら有効性において疑問を抱かざるを得ないようにも感じる。

何かしらの一意的な目的があって、このネット空間が生成・変動しているのであれば、その鼻先を制して御すこともできるのやもしれないが、これこそ真においてカオスの観を呈しているネット社会(コミュニティ群)、ことに文化の流転の様相を、一体誰が機先を制して郷導することができるというのだろうか。嵐の海で帆を高く掲げるが如き様を、国家をも巻き込んだ著作権制度を中心とする業界の強硬な態度に重ねて見てしまう。

ネット空間において、急激に変転・伸長している部分というのは、それ自身として利を生まないような営みであることがわかり始めている。そういう部分に矛先を向けるよりも、利によって存立し、緩やかに運動している箇所を集積して、利益を分配する仕組みを作っていくことに注力した方が、より有効であろうし、Fair Syndication Consortium におけるような動きは、その端緒であろう。最終的には、そのような世界規模の大きな枠組み作りは、国際社会、とりわけ国家による調整課題となるべきなのかもしれない。

いずれにせよ、このリヴァイアサンを飼い馴らすことは、誰の手にも不可能であろう。

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