学生の論文記事の盗作問題
Wikipediaが知られ始めた頃から、学生が授業の課題で与えられた論文の引用をウェブから引っ張ってくることがしばしば問題にされていた。大学などではWikipediaは引用先としては最低という認識を教授らが口を酸っぱくして言っていたからそうする学生はほとんどいなかったが、小学生でも宿題の調べものはほとんどをウェブで行っているという記事もあった。
ウェブが大量の情報を便利にすばやく提供するおかげで、学生が読書をする時間が減っている。問題はウェブ情報の信用度で、それを見抜く力を養っていない小中高生の読書時間の減少だ。もっとも、出版さえも個人で低予算で簡単にできるようになった現在、本の情報がウェブ情報よりも優れているなんてことは言えない。
えあにほ氏が言うように、現在は世界総アマチュア時代で、誰でも著作物を公開できる状態にあるし、既存の名のある制作者の収入は減少していることだろう。出版に限って言えば、かつては誰でも本を出版できる状態ではなく、出版社がプロの目で選別し、ある程度レベルの高いもののみ出版公開されていた。よって本を読むということは自動的に知的な行為であったはず。
Googleが著作権の切れた出版物の総データベース化を目論んでいるが、そうなってくるともうウェブこそが知識であり、誰も知識人などと大手を振って歩けないのではないか。新しい出版物のベースはウェブ情報にあるならば、そうなりはしないか。
学生の盗作を監視するシステムを提供するカリフォルニアの会社に対して論文などを無断でデータベース化されたとして学生らが提訴しているが、その学生たちもウェブ情報がかなりのウェイトを占めているはずで、この提訴はお門違いもいいところだろう。連邦高裁の著作権侵害には当たらないとの判決は妥当だ。つまり、創造性の問題で、学生の論文にその創造性はあまりないとの判断からなのではないだろうか。
なるほど世界は総アマチュア時代だ。ハリウッドは利益を守ろうとして巨額をつぎ込んで圧力をかけている。著作者がクリエーターとしてその才能なり技術なりをお金で評価できなくなる世界というのはどうも納得できない。かと言って新しいウェブの技術を潰してまで巨利を守ろうとするハリウッドにも納得できない。
新しいコンテンツ業界はどのような世界なのか。どこで線引きされるのだろうか。
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