ダウンロードの10年間 その3:コピーが何故悪い?
theglobeandmail.comが掲載している特集記事「ダウンロードの10年間」の第3弾は、コンテンツ業界が躍起になっている違法コピーの是非を問う。
大学生が怪しげな外国のサイトでコピーした音楽のコレクションをiPodで聞く。ベストなクオリティーを求めなければ、無料で入手できる音楽はネット上にごろごろしている。音楽レーベルはビジネスを失う恐怖に襲われて必死になって違法ダウンローダーを訴追する。その一方でアップル社のように急成長する会社も存在する。
P2Pシステムでファイルを交換すること自体は著作権侵害者ばかりでなく、医者、大学教授、弁護士まで利用していて、ファイル交換はもはや現代人の生活の一部だ。
Pirate Bay運営者4人への有罪判決は世界へのコンテンツ業界からのメッセージだった。違法コピーは悪いと。海賊版は悪いと。それでもそのメッセージは今日の若者に受け入れられていない。2001年にNapsterが廃業に追い込まれたときも受け入れられなかった。全米レコード協会がファイルシェアラーに対して初めて陪審員裁判を起こして22万ドルの賠償金支払いの判決が出たときも、受け入れられなかった。
ネット小売りのAmazonがコンテンツ業界の最後の被害者となるかもしれない出版物をKindleによってデジタル化販売する昨今、コピーや海賊版は悪いことだというメッセージは果たしてユーザーに受け入れられるものなのだろうか。ユーザーが、はいそうですかと引き下がるのだろうか。
西洋文化はこれまで文化的創作物は制作者のものなのか、社会のものなのか、それとも人類のものなのか、判別することが難しかった。19世紀に違法にコピーされた出版物を著作権法によって潰したとき、利用者の知識を得ることの権利に反抗するものとなった。
文化というものに対して、一般人は最も簡単で便利な方法でアクセスを求めてきた。「無料」で素早く簡単にコンテンツを入手することができるインターネットというツールは、その一般人の求めを十分に満たすことができる。コンテンツ業界がやろうとしていることは一般の利用者にとって簡単で便利に享受できるはずの「文化」を、著作権法によって制作者のものにしてしまおうとするもので、当然受け入れ難い。
経済の観点からすれば、もちろんこれまでたくさんの雇用を生み出してきた業界のビジネスモデルが崩壊すれば、多くの人が路頭に迷い、製作コストも回収できないから「質」の高いコンテンツが減少、もしくはなくなるということは理解できる。
しかし、近年のカンヌ映画祭を見ればわかるし、ボックスオフィス(興行成績)のラインアップを見ればわかる通り、コンテンツ業界は文化以上にビジネスになり過ぎた。それは消費者の嗜好だとか教養レベルとかの問題ではなく、ただ単により収益性を求めた結果だ。芸術性の高い映画はもれなくヒットしない。カンヌ映画祭が年々白けていく原因のひとつだろう。
海賊版はコンテンツ売上げをプロモートするという議論もまだ聞かれるし、多くの専門家が業界の違法コピー撲滅キャンペーンに苦言を呈している。
違法コピーは消滅せず、これからもずっと我々と一緒にあるとすれば、その位置づけはマリファナ、道路横断、買春などのように認知されている社会的タブーのようなものになるのではなかろうか。よって違法コピーは特に若い世代にとって常に周囲に存在する誰もが一度は通過する軽犯罪のようなものか。
コンテンツ業界のすべきことは、違法コピーや海賊版が悪いことだとして撲滅することではなく、正規品を購買することこそ正しくて大人な行動だということをキャンペーンすべきなのではないか。
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