もう誰もプライバシーなんて気にしない理由
Googleの新しいSNサービス、Google Buzzが始まったが、プライバシーについての批判がすぐに噴出した。
Gmailアカウントを持っているユーザーであればすぐにでもGoogle Buzzを始めることができるが、その設定もデフォルトでGmailに登録してあるコンタクトリストをそのままフォローすることになっていた。そしてそのリストはGoogle Buzzで自分のプロフィールを見る不特定多数のユーザーに見られる。更にGoogle Buzzの自分のURLはGmailアカウントのユーザーネームと初期ではなるから、誰かが返信すれば自分のメールアドレスを全世界に公開することにもなる。Gmailはおそらく1億アカウント以上はあると思われるが、その多くは企業だけでなく、ごく個人的なメールアドレスとしても利用されている。
Googleのエンジニアは週末返上でこの問題に対処したが、Google Buzzの船出からわずか4日で900万回の投稿がなされたことからもわかるように、SNSの登場から10年近くが経過し、それにすっかり慣れたばかりか依存するようにまでなったユーザーにとってみれば、自分の情報開示に積極的で、プライバシー問題に鈍感力を身につけている。
様々なネット上のソーシャルサービスを利用するには、ある程度の個人情報の開示は不可欠で、多くのソーシャルネットワークを利用するユーザーがプライバシー設定をオフにしている。
日本ではプライバシーの概念は古くはないが、アメリカでは1890年に遡るらしい。つまり市民のプライベートなことを許可なくメディアに載せられたりすることに対する法的救済手段があってしかるべきだろうという議論が始まりだ。
連邦裁判官で著名な保守思想家のRichard Posnerは言う。
「プライバシーは基本的に自分の私生活を”隠す”ことであって、生身の自分をよく見せようと相手を騙すことだ。」
プライバシーの本当のところは常識とは逆だ。少ないプライバシーこそ健全な社会になり得る。商品市場は売り手がもっと詳細に潜在的な顧客を事前に見つけることができれば、その人に最も適した広告を打ち、商品を提案することができる。これは買い手が無駄な広告や営業の海に飲まれないということだ。つまり消費者は関係の薄いつまらない広告を何回も見せられるのではなく、その人の興味がある本当に面白い広告を見ることができる。
2ちゃんねるを見ればわかるが、ヒトは個人を特定されないと言いたい放題だが、個人を特定できるサイトの書込みなどを見ればはるかに建設的でルールのある、よって意味のある議論が展開されている。”神の見えざる手”で有名なアダム・スミスはこう言う。
「大都市のなかにいる匿名な男は、あらゆる放蕩と悪行にその身を堕しやすい。」
ソーシャルネットワークサービスはユーザーが個人情報をある程度公開し、他のユーザーと共有することを前提にしたものが多いし、これからも情報の共有を前提としたビジネスのあり方が主流となる。ユーザーが名前も居住地も職業もすべてプライバシーだとして堅固に守るとすれば、こうしたサービスは一切成り立たない。そしてそれはウェブのテクノロジーを十分に生かし切れないということでもある。
こうしたソーシャルネットワークサービスを利用するのに二の足を踏むという方は20世紀の考え方で停滞している。ウェブで育つ今の若い世代、またこれから生まれてくる世代はプライバシーに鈍感だ。2000人のアメリカのティーンに調査したある報告では、プライバシー問題が心配だと回答したのは41%に過ぎず、59%はマーケターに対して喜んで情報を開示すると回答している。Googleが誕生した1998年の調査では、80%の回答者がオンラインショッピングは危険だと感じていた。12年後の今では、ウェブ上で不特定多数のユーザーと自分がどんな買い物をしたかなどの情報を共有している。
個人情報を開示していくことは、益々ウェブに飲み込まれていく我々の新しい習慣であり、ルールですらあるかも知れない。個人情報は盗まれるものではなく、自分で”選んで開示”していくものとなる。警察機関が電話の内容を盗聴しているのとは本質的に違う。
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