2009/04/14

密かな復讐

 音楽で「マッシュアップ」という技法がある。それぞれ別々の楽曲作品の要素を、混ぜ合わせて一つの作品として提示するやり方である。最近のデジタル技術は、こういったことを、素人でも容易に実現させてくれる。
 
 youtubeや、ニコニコ動画といった、インターネットの動画サイトを検索してみれば、マッシュアップの例は、枚挙に暇が無い。おおよそ、既存の作品を素材として組み合わせて、つまり、CDや、DVD、TV映像・音源あるいはネットにアップされている映像・音源を二次または三次使用するなど、色々なメディアで既に発表された作品を、デジタル技術の力で合成するというものがほとんどである。 
 
 言ってみれば、その道のプロが作り上げて発表したものを、勝手に利用しているわけで、当然のことながら、個々の権利など顧慮する気配などはない。たとえ、原著作者が、自身の作品を完結したものであると考えているとしても、そういった要請にはにべもなく、デジタル化された作品は外界に向けてこじ開けられ、使い尽くされていく定めなのである。
 
 昨今の権利者側、特にエンターテインメント業界の要請による法制度の強化(あぶ氏が触れているフランスのスリーストライク制などは最たる例であろう)は、ネットにおける、ほとんど無法な状況による現実的な被害の拡大を、どうにかして食い止めようという、一種の文化的危機感の発露である。 
 
 もちろん、「マッシュアップ」については、事実上の権利侵害とは言え、アレンジや、パロディといった、過去の作品を利用することによる新しい意味の創造について容認してきた文化的な歴史から鑑みれば、映画やアニメを全てそのまま動画サイトに投稿するような新たな創造性が見受けられない行為に比べれば、遥かに「文化的」な行為であることは確かである。
 
 ただ、ここでは、あえて、現在におけるネット上の著作権侵害をめぐる権利者と侵害者のせめぎあいを、プロ(権利者)VS アマ(利用者または侵害者)という図式で考えてみるための一種の方便として提示してみたいのである。 
 
 というのも、最近、この「マッシュアップ」の極北とも言うべき「作品」が、動画サイトyoutubeでちょっとした話題になっているからである。



この「作品」の特色は、これまでのマッシュアップに見られたように、「プロが既存に発表した作品を素材として混ぜ合わせる」というのではなく、「素人により既存にyoutubeにアップされていた動画「作品」を素材として混ぜ合わせている」という点である。中には、プロによる演奏映像がアップされたものが混ぜ合わせてあるものもあるが、基本的には、およそ素人とおぼしき人々が自分たちの演奏を気軽に投稿したものがほとんどである。

ここでは、「利用者または侵害者」であるクティマンKutiman(本名:Ophir Kutiel)は、イスラエル出身のプロのミュージシャンであり(2007年9月にファーストアルバムを発売)、一方で、各動画「作品」の「権利者」は素人という、逆転の図式が成立している。ここでは、7「曲」(8曲目は、本人からのメッセージ動画)がまるで「アルバム」のように発表されており、「Thru-you」という統一タイトルが付けられている。通常ならば音だけをサンプリングして利用するということが考えられるが、まるで各要素の身元を明らかにするかのように、画像もそのまま利用しているというのが確信的な行為である。

果たしてこの「作品」が原著作物なのか、二次的著作物になるのか、それも含め、この中に埋め込まれた人々は、何を思うのか。 

この「アルバム」には、youtubeでの公開の他に、特設サイトも設けられており、配信ページのデザインは、youtubeの動画ページの各部分が、上から削られたような、消しゴムで消されかけているような体裁となっている。そして、上からこれみよがしに各曲のタイトルが赤字で貼り付けられている。ご覧になってどう思われるだろうか。「著作者」は何を意図しているのか。
 

この「作品」が密かな復讐を含んでいるのではないかとも思うのである。

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